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ずっとまじめに 品質にこだわった20年

ずっとまじめに 品質にこだわった20年

おかげさまでルピシアは創業20周年を迎えます。いつもワクワクすることや美味しいものを求めて「らくだと王子」と一緒にずっとまじめに歩み続けてきました。

このお茶は本物?

かつて東西を問わず上質なお茶は、女王陛下や皇帝に代表される特権階級のよろこびであり、上流階級の社交のたしなみであり、特別な僧侶や修道士のみが扱うことの出来る薬草。時に黄金と同じ価値を認められた、高価な嗜好品(しこうひん)でした。

お茶をすべて海外から輸入していたヨーロッパの人々の間では、茶がらを乾燥させて再利用したり、身近なハーブなどで増量するのは普通のことでした。茶葉はそれだけ稀少なものだったのです。

中国や日本などお茶を生産するアジアの国々でも、伝統的に有名産地と無名の産地、春の新茶と古い茶葉などをブレンドすることは、安定した供給や品質保持のための技術のひとつ。特にお茶の保存や梱包が難しかった近代以前、茶師にとって大きな腕のみせどころでした。

また歴史をたどると、安易な利益を求める人々による偽物のお茶や、産地の偽装、お茶以外の植物や添加物で増量された茶葉によるトラブルといった記録も少なからず残されています。

お茶が世界中の人々の暮らしの中で気軽な飲み物となった今日でも、こういったお茶の取引や流通をめぐる不透明な状況が、完全に「過去のこと」になっているとは決して言い切れません。

そんな中、ルピシアはお茶に対して誇りを持ち、お客さまと同じ目線で向き合い、常に正直にまじめであることを第一のモットーとし、なによりも品質にこだわり続けてきたのです。


らくだと王子の誕生

ルピシアの前身であるレピシエが創設されたのは1994年の夏。

当時、1972年の紅茶の輸入自由化からバブルの時代を経て、世界各地のお茶や産地などの情報も少しずつ日本に入ってきてはいたものの、それらは基本的に一部の愛飲家の趣味の世界のもの。英国をはじめヨーロッパなど海外から輸入された有名専門店のお茶の多くも、正直、その中身よりもブランド名によって珍重されていました。

都会の喫茶店やレストランで紅茶を注文しても、多くはミルクティーかレモンティーしか選択の自由がないのが当たり前の時代だったのです。

レピシエの創業メンバーに共通していたこと。それは、お茶が好きなことはもちろん、世界中を旅して美味しい食べ物を見つけるのが楽しみな食いしん坊で、好奇心に満ち、そして自分自身に正直でありたいという姿勢でした。

ちなみにレピシエという名前はフランス語で「食料品店」のこと。世界中の美味しいものを集めて日本の皆様にお届けする、という思いを込めて、美食の国フランスの言葉で名づけました。今もルピシアのロゴとして親しまれている「らくだと王子」のイラストも、シルクロードを伝って東西の文化を運んだらくだをシンボルに、現代の食文化を広めようという思いが込められています。


手にとって確かめる

創業当初のティーリストに掲載された184種のお茶と、現在の年間400種以上を扱うルピシアのラインアップの考え方は、基本的にはなにも変わっていません。

これまでの紅茶専門店や日本茶店といった枠組みにこだわらず「紅茶・烏龍茶・緑茶・ハーブのすべてを扱い、お茶の世界を広げる」そして「本当に美味しいお茶を適切な価格でお届けする」という2つの大きな使命をもって、創業準備の慌ただしい中、スタッフはインド、スリランカ、中国など世界各国を可能な限り訪問。現地の生産者から直接買付けた、多彩な産地特定のお茶と、目がさめるような真新しいブレンドティーやフレーバードティーをそろえて、1995年に東京・千駄ヶ谷に本店(当時)をオープンしました。

当時の紅茶専門店などで一般的であった、店内に保管されている茶葉を、リストから指名して出してもらい購入するスタイルではなく、全ての茶葉のサンプルを、お客さまが自由に手にとって確認できるように店頭カウンターに並べました。

実物を直接比較することで、お茶の世界により深く親しんでもらい、価格に値する価値があることに心から納得していただく。お茶の品質に対するこの「まじめさ」は、現在までずっと続いている姿勢の一つです。

創業時から販売する緑茶のフレーバードティー、「トキオ」は東京から情報発信するお茶ブランドの象徴として名付けられたもの。当時、先駆的であった日本の緑茶がベースの果実と花が香る味わいは話題を呼びました。同様に2001年に発売した高級台湾烏龍茶ベースのフレーバードティー「白桃烏龍 極品」は、その前例のない風味が大好評。他社による類似商品も続出する程。現在もルピシアを代表する人気の品です。


産地と旬にこだわる

1990年代当初、多くの紅茶のパッケージに書かれた名称が100%その産地の茶葉を示しているとは限りませんでした。例えばダージリン産の茶葉が一定の基準以上含まれていれば、立派なダージリン紅茶として一般に流通していたのです。

そんな中、レピシエは生産年、産地、茶園名を明記した、季節ごとのダージリンの茶葉を航空便で直輸入。製茶したての新鮮な紅茶をお届けしました。

その鮮度とこだわりは熱狂的な反響を呼びました。海外ブランド等の既存のダージリン紅茶を飲んでいた方からは「いつもと風味が違う。ニセモノではないか?」というご意見までいただいたほど。

その後、特に春摘み紅茶の試飲会には力を注ぎ、2006年には東京・品川にて約1万人にご来場いただいた「ダージリン・フェスティバル」を開催。

これが2008年から現在までの7年間に約70万人にご来場いただいた、世界のお茶の祭典「グラン・マルシェ」無料試飲会イベントのひな型となり今日に至ります。


日本茶と中国・台湾茶

茶葉に対するこの「まじめさ」は、日本茶や台湾茶に対しても同じです。

最近まで、街の日本茶専門店などでは、本州の主要産地で茶摘みが始まる5月初頭に、宇治や静岡のラベルが貼られた新茶が店頭に並んでいました。

お茶は加工食品のため生産地の表記が厳密でなかったため、九州など南の産地で先に作られた新茶が、有名産地の製茶場などで焙煎やブレンドをされ、加工地のラベルを貼られて出荷されていたためです。

そこで我々は、産地と品種、摘んだ時期を明記し、届いた順番に新茶をお届けしました。

お茶専門店としてそれは大変に勇気のいることでしたが、種子島や屋久島など、一般的な知名度は高くなくとも良質な産地との信用と関係を積み重ね、そのことを発端として、各地の先鋭的な生産者の方々との交流が始まったことや、桜前線のように新茶前線を楽しむという、新たな日本茶の楽しみ方を提案できたことなど、この「まじめさ」によって得たことも多かったのです。

近年、日本茶の生産地の表示基準が改定され、九州産の新茶なども全国で親しまれるようになりました。しかし、法律からではなくお茶への正直な姿勢を理由に、産地や生産年を開示してきたことは、我々にとって小さな誇りのひとつです。

初心者にとって敷居が高く、知識や経験が必要とされた中国茶や台湾茶の世界でも同様です。我々は、直接産地におもむき、信頼を重ねることで、安全で高品質、そして多彩な銘茶の数々をお届けしてきました。

特に台湾茶は、その高い品質と風味に魅了され2001年に現地に事務所と店舗を開設。季節ごとにバイヤーが各地の茶畑に足繁く通い、生産者らと直接取引を重ね、リーズナブルに本物の茶葉をお届けしています。


いつも新鮮に

2005年のレピシエと姉妹ブランドであった東洋のお茶専門店・緑碧茶園(ルーピーちゃえん)の統合、平行してのルピシアの立ち上げ時期には、ブランドにとって大きな転換と決断がありました。

それは、それまでレピシエの看板でもあった、茶葉の秤り売りを終了し、すべての茶葉を基本的に窒素充填したアルミ袋で販売する決定をしたことです。

なによりお茶そのものの鮮度保持のため、茶葉の安心・安全な検査体制や品質管理のため、そして全国どのお店でも最良のお茶をお届けするために、どうしても必要なことでした。

そして20年前の創業時から変わらない大切なことがあります。

それはいまお手にとっていただいている「ルピシアだより」ニュースレターの発行です。

お茶と食文化を通じて、暮らしがすこし豊かになる。世界の見え方が広がっていく。そんな新鮮で楽しい情報を毎月お届けする。20年の間には、失敗も笑い話も、いろいろありますが、読者の皆さまに支えられ、今日まで続けてこられたことに、感謝の気持でいっぱいです。

お茶の楽しさと驚き、そして大切なくつろぎの時間を皆さまにお届けするために。

これからもルピシアはしっかりと歩み続けていきます。