Vol.4 「白」という挑戦 源右衛門窯 白磁宝瓶
本当に使いやすい茶器ってなんだろう。いろいろ試した結果、茶碗と蓋がセットになった中国式の蓋碗(がいわん)が、最もシンプルで手になじむ。しかし、蓋碗には二つの問題がある。まず慣れるまでに多少の時間が必要。第2に細くよじった蒸し製法の日本茶や、細かく粉砕したタイプの紅茶は、カップの中に茶葉が浮き出してしまい不向きだ。そんなことを考えているタイミングで、日本を代表する佐賀・有田の名窯・源右衛門窯の新製品を、専務の金子さまにご紹介いただいた時、胸がときめいた。そうだ、宝瓶(ほうひん)があったじゃないかと。
明治時代に日本煎茶文化の中から誕生した宝瓶(泡瓶)は、玉露専用の茶器として、取っ手を省略した急須として発達したとも、蓋碗から進化したとも言われている。この白磁宝瓶は、一般の有田焼とは違って絵付けをせずに、伝統的な柞灰釉(いすばいゆう)による、わずかに青みをおびた奥行きのある清楚な白さだけで勝負した、源右衛門窯の250年以上の歴史の中で、初めての無彩色の製品だという。
実際に使ってみると、丁寧な茶こしの溝の造形が、細かい茶葉でもしっかりした抽出をサポートし、持ち手に十分な幅があるため、紅茶や烏龍茶でも熱湯で安全に抽出できる。掌にぴったりの丸いフォルムの宝瓶に湯呑をセットした、これだけでほとんどの種類のお茶が楽しめる万能茶器。歴史をふまえながらも、「白」がモダンな合理性を象徴する、新しい有田焼の波を感じる逸品だった。
■有田焼について
九州の中心地、博多から特急列車で約1時間20分。長崎県に隣接する佐賀県西部・有田町(有田皿山)を中心とするエリアは、17世紀から磁器産地として有名だ。その窯業の起源は、豊臣秀吉による文禄・慶長の役(1592〜1598)の際に、戦場となった朝鮮半島から佐賀藩の藩祖・鍋島直茂(なべしまなおしげ・1538〜1618)が、多くの陶工や技術者を集め、連れ帰ったことから始まる。17世紀中頃から18世紀前半にかけて、有田で生産された製品は、隣接する伊万里港からインドネシア、中近東、そしてオランダなど経由しヨーロッパ各地をはじめ世界中に船で運ばれ、高値で取引された。そのため、一般的に有田焼は伊万里焼として知られる。明治時代以降は近代化もすすみ、タイルなどの工業製品を生産。また同じく高級白磁産地のドイツ・マイセンとは姉妹都市の関係だという。
■ お茶と九州
いにしえより中国や朝鮮半島からの玄関口になってきた九州。
紀元前3世紀の中国・秦の時代に「東方の不老不死の霊薬」を求め、数千人の若い男女と技術者や穀物の種などを携えて、大きな船で佐賀に到着したという徐福(じょふく)の伝説を筆頭に、台湾で清に反逆した長崎・平戸生まれの日本人と中国人のハーフである鄭成功(ていせいこう・1624〜1662)の物語など、人物の行き来も深い。
有田のすぐ南側に接した人気の温泉地・嬉野は、樹齢340年以上の日本最大規模の大茶樹でも知られている。
伝統的には中国風の釜炒り茶を製造、現在も蒸し製玉緑茶など独自の緑茶で知られている嬉野の茶業も、そもそもは中国大陸からやってきた陶工が、自家用に茶樹を栽培したことに始まる。
■ 源右衛門窯と柞灰の白
世界中で賞賛された有田焼の特徴は、緻密に、また踊るように彩られたカラフルな絵付け。
特に、数ある有田焼の中でも柿右衛門、今右衛門と、今回ご紹介する源右衛門の三つの窯元は三右衛門と呼ばれる歴史的な銘窯。特に源右衛門窯は、ハンガリーのヘレンド社などとコラボレーションするなど、現代的な美意識を兼ね備えていることで知られている人気の工房だ。
伝統的な有田焼の絵付けの下地になっているのが、鹿児島などに多く自生する、柞 (いすのき)の樹皮を灰にした釉薬。優しい肌合いは、絵付けの筆が乗りやすく、また磁器全体にわずかに青みを帯びた、有田焼独特の奥行きのある白い輝きをもたらす。自然な風合いは、使い込むほど深い味わいに。まさに数百年に渡って銘窯を支えるファンデーションとなっている。
この源右衛門窯の宝瓶は、この柞灰釉の白さと美しさを全面に打ち出し、隠れた主役にスポットライトをあてた、歴史に裏打ちされたデザイン。ぜひ手に取って、実際に使っていただきたいと思う。

【国の天然記念物にも指定されている嬉野の大茶樹】
















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