日本の羊飼育の始まり
北海道と羊の本格的な出会いは明治8年(1875)、お雇い外国人の一人、エドウィン・ダンがアメリカから羊を連れて来たことに始まります。ダンは当時の酪農の最先端技術をもたらした北海道の酪農の西欧化に貢献した恩人。“Boys, be ambitious!(少年よ 大志を抱け)”で知られる札幌農学校(現・北海道大学)の初代教頭ウィリアム・スミス・クラークも厚い信頼を寄せた人物でした。
明治9年(1876)、ダンは真駒内(まこまない)に牧羊場を設置、羊の飼育技術の普及に努めます。当時の羊の飼育の主な目的は羊毛を取ることでした。残念ながら、ダンの奮闘空しく、病気などの問題で明治政府は羊の飼育を断念。羊毛は海外からの輸入に頼ることとなります。
やがてヨーロッパで第一次大戦が勃発。イギリスが羊毛の輸出を禁止したため、日本はふたたび羊の飼育の必要に迫られ、北海道はその中心的役割を担うことになります。大正7〜8年(1918〜1919)、空知(そらち)の滝川(たきかわ)、札幌の月寒(つきさむ)に種羊場ができ、各農家でも羊を飼うことが推奨されました。農家の女性は羊毛を紡ぎ、家族の衣類を編んだり、紡いだ糸を布に織り上げ(ホームスパン)、洋服に仕立てたりと、羊毛は農家の良い副収入となりました。日本の羊の飼育数が最も多かったのは昭和30年代初頭、全国で約100万頭、その半数以上が北海道で飼育されていました。
昭和25年(1950)、大きな転機が訪れます。羊毛の輸入規制が廃止され、海外から安価な羊毛が大量に輸入されるようになります。さらに化学繊維の普及が追い打ちをかけ、日本の羊産業は壊滅的な状況に陥りました。
羊毛産業が衰退する一方、羊の様々な活用法が試されました。羊の脂を使った石鹸やろうそくが作られ、そして羊をおいしく食べようという動きが現れます。