ルピシアだより 2019年4月号
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プレイバック「平成」のお茶

「平成」の食文化の中で、お茶はどのように変化したのか。新しい時代の幕開けとなるこの春、「平成」のお茶について振り返ってみました。

プレイバック「平成」のお茶

昭和から平成 食卓の移り変わり

平成のお茶を中心とした食文化の移り変わりについて、振り返ってみます。

家庭や暮らしを中心として考えた時、平成で最も大きな変化は、男女の共働き世帯が専業主婦のいる世帯を上回ったことでしょう(※)。

食事も各家庭の台所で作られる手作りの「おふくろの味」から、お弁当やお惣菜、インスタント食品を、コンビニエンスストアなどで購入する時短スタイルへと移り変わっていきました。

※昭和55年(1980)に1,114万世帯あった男性雇用者と無業の妻から成る世帯は平成29年(2017)に641万世帯に。
雇用者の共働き世帯は昭和55年(1980)614万世帯から平成29年(2017)1,188万世帯に逆転しました(内閣府男女共同参画局「共働き等世帯数の推移」資料など)。

茶葉からドリンクへ

平成初期に、食卓で最も大きく姿を変えた食品の一つがお茶です。

1980年代に広まった無糖の缶入り烏龍茶や日本茶に続き、1990年頃に登場した大容量ペットボトルのお茶は、健康志向と手軽さから大流行します。

家庭で急須などを使い自分で茶葉からいれていたお茶は、ボトルごと購入して飲むスタイルにも変化します。平成8年(1996)に登場した個人で飲みきれる500mlサイズのペットボトルは、その人気と普及を決定づけました。

世界の茶葉に注目が集まる

1990年代は海外のお茶文化への関心も高まりました。20代の女性を中心に大流行した海外個人旅行をきっかけに、英国式紅茶や台湾烏龍茶などを知った人々の情報が口コミで広まります。またテレビや雑誌などでも、欧米の紅茶専門店やリゾート地に隣接するアジアのお茶産地が、新鮮な驚きをもって紹介されました。

紅茶専門店レピシエは平成6年(1994)、この静かなお茶ブームを追い風に創業しました。平成13年(2001)に東洋のお茶専門店として緑碧茶園(るーぴーちゃえん)が誕生。平成17年(2005)両ブランドを統合し、世界のお茶専門店ルピシアが誕生します。

食の安全と産地への関心

食の安全や健康、産地、生産者への関心は、平成以降の食文化全体の重要なテーマです。

私たちは1990年代の創業時より、インド・ダージリン紅茶の茶園名やDJナンバー(生産単位ごとのロット番号)、日本茶の産地・品種を他に先駆けて明記するなど、お茶の情報を公開してきました。

これは2000年代初頭の食品偽装問題など社会的な関心の高まりの中、平成16年(2004)に日本茶の産地表示基準が改定される以前からの試みです。

この改定以降2010年代、九州各地の釜炒り茶や、日本各地の和紅茶に注目が集まるなど、それまで以上に日本茶の生産者の個性的な取り組みや産地がクローズアップされるようになりました。

そして広がる次世代のお茶

欧米やアジア各地で抹茶が流行し、米国の台湾茶ドリンクショップがSNSで話題になるなど、2010年代以降、お茶に関する情報は、インターネットを通じ、世界中で瞬時に共有されるようになりました。

また今日、爆発的に普及したスマートフォンなどのデバイスを通じていつでもどこでもお茶を購入できるようになりました。

近い将来……AIや流通網の進化により、お茶の消費者と生産者の距離がグッと縮まり、朝摘みの新茶が夜には消費者の手元に届く可能性も。そんな時代にあっても、信頼に値するお茶のご案内役として、ルピシアが今まで以上に皆様のお役に立てるよう、より幅広いお茶の世界をご紹介したいと考えています。

【年表】「平成」のお茶をめぐる環境